飯能市議会議員

鳥居のぶあき

             これからの時代(社会)を考える
                                                
                  地域(住民)パワーと行政パワーの変化
 
            行政が何でもやってくれる時代は終わった   

                                             2010年 5月21日

 私は市議会議員という立場上、様々な年齢、職業の方々とお会いする機会が多く、いろいろなご意見を伺います。その多くが市、県、国の施策(行政)に対する不満や自分の意見、提案を実行してくれないと言う内容です。
なぜ市、県、国がやってくれないのか、その原因、理由について時代背景を考え、これからの、市民、国民が為すべき事は何か厳しい財政の中、市民、国民の要望を実行しますと声を上げている地方議員、首長、国会議員をどう考える時代なのか、どうすれば実現できるのか考えてみました。
このことについて、昨年、自分の考えを整理するために
要点を表にまとめたものがあります。
ここでは、その説明、解説という形になります。ぜひこの表を参考に見て下さい。時間に余裕のない方はこの文章の
太字、カラー文字と表だけでもご覧下さい。
今は2010年終戦から65年が経過しました。この間を3つの時代分けて考え、最後にこれからの時代を考えて見ます終戦直後から昭和40年代前半までの時期は高度経済成長前の助走期、仮にAの時代。そして、高度経済成長期をBの時代とし、バブル崩壊以降をCの時代とします

今までの社会を振り返って

<A> 助走の時代
   
 住民も行政も、仕事・金は無かったが、時間はあった。    住民の地域力>行政パワー
 
戦後間もない時期、高度経済成長期に入る前の、助走の時代は、戦後食料、衣服、住宅すべて満足にない時代。社会の産業基盤、生活基盤も未整備のため、動力、燃料、資機材も充分でないため、当然に仕事も充分に無いから、給料、収入も少ないが自宅にいる時間は多くあった。給料が少ないから収める税金も少なく、国や地方自治体の財源も乏しい時期であった。
そのことは国民周知のことで戦時中に、叩き込まれた「国のため」に働く精神、勤労奉仕は当然の義務として心の根の部分にありました。金は無いが、自宅で生活している時間は充分にあったので、地域と交流
する時間が多く持てた。食料も充分に無いことは近所皆承知で、お互い様と貸し借りが出来、生活する上でも自然と地域のコミュニティーが形成されている時代であった。
市民は行政にも財源、パワーがないことは承知していたので、未舗装の道路の穴埋めや路肩の整備をする
ことも自分たちでやる、いわゆる「おてんま」、今風に言えば「無償ボランティア」に抵抗無くやる時代であった。近所の人達と顔を合わせている時間も多く、大人も地元の子供達の顔はほとんど知っていて、子供達も大人の顔と名前はほとんど知っていたので、よその親からも叱られたりしていた。

 つまり、この
助走の時代は、地域コミュニティーが濃密で、ボランティアも自然に行われていた時代で、全体的に見れば、行政より住民のパワーの方があった時代といえる

<B>高度経済成長期
  
  仕事が多忙。 住民は税金を多く払うが地元に対しての時間が無い。
                                    行政パワー>住民の地域力

この時代は、ダム建設や大型タンカーで海外からの燃料輸送による火力発電所等による電力供給のみならず化学、機械工業、それに伴う鉄道や新幹線、高速道路などの物流、これらの基幹産業がどれもそれぞれに需要、供給がうまくかみ合い、仕事はどの業種も多忙を極めた。土木・建築や電気製品、機械、自動車、化学などの製造業(2次産業)が全盛期で、大量生産し安価な製品を競って作っていたので、消費先は国内のみでなく、海外の輸出にも大きな比重が掛けられていた。
国民は、休日に休む余裕も少なくなった。輸出産業は新製品の開発は日本の卒業、入学、就職期の3月、4月と年末、年始という大消費期のみならず、海外のクリスマス商戦での輸送費を安くするために船便とするため、日本での開発は9月迄が期限で、それから大規模な生産活動に入るから一年中新製品の開発、製造と昼夜、平日、休日を問わず働き詰めの日々であった。
そして、個人も企業も地方も国も財力が豊になって世界1,2の経済大国に成長した。

その結果、個人の時間は少なくなり、自宅での時間や地域での交流する時間が減少し、コミュニティーが希薄となり、住民が地域に対して貢献する余裕が無くなってきた
 一方、行政、国も地方も、歳入が大幅に増え上下水道、道路、学校などの整備が進み、仕事が多忙な住民に変わり、要望を出来るだけ実現させようとしてきた。その結果「すぐやる課」などの窓口も出て来た。そして、住民・国民はそれが当然のこととして行政にどれだけ仕事をさせたかで住民の力を誇示してきたのであり、それを代弁して来たのが、地方議員、国会議員で、それを実現させようと努めてきたのが首長以下行政であった。住民はそのために候補者を選挙で応援して来た時代であった。


<C>バブル崩壊後の現在
    仕事が無く、時間が出来てきた高齢社会。        住民の地域力>行政パワー
 
まさに現代である。高度経済成長期は、国をあげて取り組み海外との競争力を付けた2次産業を中心に大幅に成長した。その結果、農林水産、石炭採掘などの1次産業の大幅な衰退で食料の自給率は40%、エネルギーの自給率に至っては20%以下である。そして柱となっていた2次産業である製造業の国際競争力は高い人件費、金融不安から先の見えない経済状況となり、設備投資も、住宅購入も出来ず、機械、建築のみならず、民主党のスローガンはコンクリートから人へと、停滞している経済、産業に冷や水を浴びせる様な施策を行っている。
これでは民間企業だけでなく行政も中長期的な施策を立てられないのは当然である。
しかし、民主党のスローガン(マニフェスト)をいつまでも悪いと言ったところで何も生まれてこない。とにかく1度政権を民主党にとらせて、その手腕を見てみたいとして、衆議院選挙で投票した国民、またそう思わせるに至った自民党にも大きな責任がある。現在は、団塊の世代が定年を迎え、退職し時間的に余裕のある人が多くなった。
また、製造業が海外へ進出したことによる国内の空洞化。リストラにより従業員は減ったものの生産効率を上げるため、1人当たりの業務負荷が多くなった。若年層でも就業できない割合が増えている。
つまり、地域での住民の労働余力はかなりあると言うことである。
一方、行政側、国及び地方は830兆円、国民1人当たり650万円という多額の長期債務残高を
抱えている。経済的にゆとりは無いのである。これは、マスコミでも取り上げられているから誰でも知っている。
しかし、それに対して最も口をふさいでいるのは、政治家(国・地方議員、行政の長)である。
それは、選挙時、
市民、国民は、どの候補者が我々に何をやってくれるのだろうか、行政に何をさせることができるのかで評価している確かにそれも議員、首長の大切な仕事ではある。だから候補者は「やります」、「やらせます」と言わなければ選挙にならない、負けてしまうからである。
市民、国民が、先に述べた<B>の
高度経済成長期に行っていた行政サービスと同質、同程度のものを求めているから、候補者はマニフェスト、公約でその時代と同じサービスを唱えるのである。結果、財政破綻が更に膨らむ状況を招いていることを、市民、国民は認識しなければいけない。結局そのツケが自分たちに、子供、孫達に跳ね返ってくるのである。これは、国民、市民がいけないというより、議員、首長への候補者がはっきり言わなければいけないのである。
今はまさにケネディーが言ったように
「行政(市、国)が何をやってくれるのかでは無く、あなたが行政に対して何が出来るのか」という時代なのである。


<考察>これからの時代を考察する
     「おてんま」を知っている世代が「おてんま」を教え、実践する時代。

 今は、中・高齢者でも、若者でも失業率が高く、仕事を求めている労働力はある時代である。
そして、地方
も国も財源が無く厳しい状況となった。
これは、先に述べた<A>の
助走の時代に似た状況になってきたと言うことである。
そこで、すでに一部では衰退した1次産業に就業者を増やそうと動いているところもある。
高齢者に1次産業の作業はきつく無理があるが、若者の就労には光が差すのではないだろうか。
では、地域に余力のある高齢者の労働力をどの様に活かせば良いのか。それは、<B>の
高度経済成長の時代と同じ様に何でも行政にやってもらうことを声高く訴えるのではなく、自分たちのまちづくりは、自分たちで出来る範囲のことを、自分たちでやっていくことである。
つまり、<A>の時代に行ってきた「おてんま」、「無償ボランティア」で地域コミュニティーを育むことである。
道路清掃、植栽の手入れ、草刈り、学校ボランティア、防犯活動、地域で子育て、介護など。現在年2回の市
民清掃デーを増やすとか花を植えるとか、農作業は労働力を集中的に必要とする時期がある。それらの手伝いなど。地元の名産品の拡販活動などやれることはあと思うる。
しかし、その需要と供給の調製、コントロールするシステムが出来ていない。つまり登録、斡旋、トラブル防止策など、それこそが行政の仕事である。

若い世代は「おてんま」の時代を知らないのである。その体験をしてきた、60才以上の人達が先頭に立って「おてんま」・・「無償ボランティア」で地域のために一肌脱ぐということをやっていかなければいけない時代なのではないだろうか。

以上が以前の、要点を表にまとめたものを解説したものです

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